るろうに剣心 ~奥義会得の条件~

るろうに剣心-明治剣客浪漫譚-(1996-1998)

画像参照URL:http://kyouno.com/turezure/20120827-rurounikenshin.htm


 昨今実写映画化されるなど、世代を超えて根強い人気を誇る和月伸宏さんの作品。この作品の中で最も盛り上がりを見せるのは、国取りを企む志々雄真実と、それを阻止するために立ち上がる緋村剣心との壮絶な戦いだ。

 実はこの長きにわたる戦いの中で、緋村剣心は飛天御剣流奥義、天翔龍閃(あまかけるりゅうのひらめき)を会得することとなる。そしてもちろん、奥義にして最強の技であるそれをもって志々雄との戦いに決着をつけることになるのだが、剣心の師匠である比古清十郎が奥義伝授と同時に、今の剣心に絶対的に足りないとても大切なことを悟らせるのだ。奥義伝授の過程における剣心とのやり取りのなかで、比古清十郎は以下のように言い切っている。

◆緋村剣心
 「奥義伝授を前に、死など恐れてはおりません。
◆比古清十郎
 「今のお前には、天翔龍閃は会得できん。やはりお前はバカ弟子だ。一晩時間をやる。心の中を探って、自分に欠けているものを見つけ出せ。それができなければ、奥義会得は愚か、お前は本当に命を落とすことになる。

 師匠曰く、奥義を会得する絶対条件といってもいいくらい、欠けている何かというのは大切なものらしい。この「欠けている何か」そのもの、そしてそれを見出すまでの過程に私は深く感動を覚えたので、作品のストーリーを振り返りつつそれを解き明かしていきたいと思っている。


【登場人物】

まずは主要人物について少し振り返っておこう。


緋村剣心

 飛天御剣流の剣術士。幕末の動乱のさなか、京都で人斬り抜刀斎と呼ばれた志士。多くの維新志士を救った男。修羅さながらに人を斬り、新時代明治を切り開いた最強の男。剣心に逆刃刀を託した刀鍛冶・新井赤空に「俺はこれから人を斬ることなく、新時代に生きる人たちを守れる道を探すつもりです」と告げ、動乱の終わりと共にるろうにとなる。全国を放浪し、10年の月日が経つ。そしてその期間殺さずの誓いを守り続けている。

(※人斬りとは、幕末期の京都において暗殺活動を行った尊王攘夷派の志士の呼称。)


志々雄真実

 幕末の人斬り。影の人斬りの役を引き継いだ、もう一人の長州派維新志士。人斬り抜刀斎の後継者。10年前の戊辰戦争で死んだと噂されているが事実は同士に抹殺を謀られた。常人には理解できないほどの功名心と支配欲の持ち主。人斬りを引き継いだのは、彼の実力と存在を維新志士の幹部に知らしめるため。彼が行った人斬りには、知られれば明治政府の根底が覆されるものも含まれるため、戊辰戦争の混乱に乗じて政府が殺したはずだった。しかし火にかけられてもなお生きていた。以来復讐の悪鬼と化した志々雄は、血肉を好む戦闘狂や平和を忌み嫌う武器商人を次々と配下に引き入れ、京都の暗黒街に一台兵団を築く。そして過去の暗殺の秘密を切り札に、この国を二つに割る復習戦争を起こそうとしている。


比古清十郎

 飛天御剣流現継承者。9歳~14歳まで緋村剣心の面倒を見る。15年ぶりに緋村剣心と再会し、15年前にやり残した飛天御剣流の奥義・天翔龍閃を剣心に伝授する。


神谷薫

 神谷活心流剣術道場師範代。人斬り抜刀斎を名乗る偽者に襲われたところを、剣心に助けられる。その恩に報いるため、るろうにの剣心を道場に寄宿させる。そこから剣心との関係性が深まっていく。


【ストーリー】

志々雄真実の知らせ。剣心、京都へ行く。

 ある晩剣心は、幕末に新撰組と剣を交えた頃の夢を見た。それによって一抹の胸騒ぎが剣心によぎる。近日、警視庁警部補の藤田吾郎と名乗る男が道場を訪れた。しかし実はそれが、過去に剣を交えた新選組三番隊組長の斎藤一だったのだ。10年ぶりに再び剣を交えることになるのだが、その最中、またもう一人の人物が剣心のもとを訪れた。元薩摩藩維新志士、現明治政府内務卿、大久保利通その人だ。斎藤一は大久保の命によって、剣心の今の実力を測るために送られたのだった。そしてその晩、大久保の口から志々雄真実に関する情報が剣心に伝わるのである。(主要人物の紹介で載せた内容。)

◆大久保利通
 「単刀直入に話そう。志々雄真実が京都で暗躍している。幾度となく差し向けた討伐隊はことごとく全滅。もはや頼みの綱はお前しか。緋村、この国の人々のため、いま一度京都へ行ってくれ。」

 志々雄抹殺の依頼を受けた剣心。一国の明暗がかかっているこの一大事。そして志々雄という幕末の亡霊を生み出すことに自分がひと役買ってしまったという事実。自分が京都へ出向いて戦うことが人々の平和に役立つことなのか深く思い悩む。るろうにとなって10年間、殺さずの誓いを守り続けてきた剣心にとってはあまりに苦渋すぎる選択だった。しかし結局、悩んだ末に出した答えは京都へ行くことだった。

◆緋村剣心
 「人斬りは所詮死ぬまで人斬り。抜刀斎もまた拙者の真の姿に違いはない。闘いの中にしか生きられぬ定め。時代が再び流れ始めた。留まることはもう許されない。」

 しばし留まった東京での薫との別れ際、剣心は最後に以下のように言葉をかけている。

 「このまま志々雄をほっておくことわけにはいかない。拙者は京都に行くでござるよ。10年、抜刀斎に立ち戻ることを固く自分に禁じてきた。しかし斎藤との戦いではっきり思い知った。拙者の奥底には決して変わることのない狂気の人斬りが住んでいる。これ以上ここにいれば、拙者はことあるごとに皆を危険に巻き込み、その都度抜刀斎に立ち戻っていく。初めて出会ったとき、薫殿は言ってくれた。拙者の過去なんかにこだわらないと。嬉しかった。心休まる日々が続き、拙者は本当に一介の剣客になれるかと感じていた。いままでありがとう。拙者はるろうに。また流れるでござるよ。さよなら。」

 自分自身の中に人斬りが住んでいることを改めて認め、そしてそれは自分自身が受け入れるべき真実なのかもしれないと自問自答する剣心。志々雄との戦いで完全に人斬りに立ち戻るかどうかはわからないが、自分がこのままここにいても自分と関わる多くの人を危険にさらしてしまうことを危惧した剣心は、これまで深い経緯をつくってきた薫とその仲間たちと別れを告げ一人京都へ向かったのだった。


京都にて、奥義会得の修業

 再び京都の地へ足を踏み入れた剣心。しかし剣心は今の実力では到底志々雄真実にはかなわないことをさきの斎藤一との戦い、そして京都で起きた志々雄の配下であり右腕の天剣の宗次郎との戦いをもって自覚した。そこで、自分に飛天御剣流の剣術を教えてくれた師匠、比古清十郎のもとを訪ね、15年前にやり残した飛天御剣流奥義の伝授を申し出たのだ。

 いよいよ奥義の伝授のための修業が始まった。

 比古は修行を始める前に一つのことを剣心に告げている。

◆比古清十郎
 「始める前に一つ言っておくことがある。最後の奥義を会得すれば、お前は俺に匹敵する強さを手にするだろう。だが、うぬぼれるなよ。お前ひとりがすべてを背負って、犠牲になるくらいで守れるほど、この時代は軽くないはずだ。そして同様に人一人の幸せも軽くない。お前が犠牲になれば、ただお前に会いたいという気持ち一つで京都へ来た女が一人、確実に不幸になる。覚えておけ。どんなに強くなろうと、お前はただの人間。仏や修羅になる必要はないんだ。

 比古の言葉の中の女とはすなわち薫のことである。東京で剣心と別れた後、剣心の後を追って京都へ来ていたのだ。比古は剣心自身がすべてを背負って(志々雄を生んでしまったのに自分が関わっていることは事実だから。)犠牲になろうとしていることをわかっていた。だが、そうして犠牲になったところで、剣心のことを愛している人は幸せにはならず、むしろ不幸にしてしまうということを肝に銘じるようにと伝えたのだ。

 だが剣心は師匠の忠告をまだ身に染みて感じることはできていなかった。

 奥義伝授のとき、刀をとってお互いに対面する場面。

◆緋村剣心
 「奥義伝授を前に、死など恐れてはおりません。」
◆比古清十郎
 「今のお前には、天翔龍閃は会得できん。やはりお前はバカ弟子だ。一晩時間をやる。心の中を探って、自分にかけているものを見つけ出せ。それができなければ、奥義会得は愚か、お前は本当に命を落とすことになる。」

翌日。

◆比古清十郎
 「で、欠けているものは見いだせたのか。」
◆緋村剣心
 「いいえ。」
◆比古清十郎
 「所詮お前はここまでが限界の男だったな。そんな中途半端な男が志々雄に勝つことはできん。心に住み着いた人斬りにも勝てん。もし生き延びたとしても、お前は生涯苦しみ、悩み、孤独にさいなまれ、人を切る。ならばいっそ、奥義の代わりに引導をくれてやるのがお前の師としての最後の務め。覚悟はいいな。剣心。」
◆緋村剣心(心の声)
 「恐れているのか比古清十郎を。その後ろにある絶対の死を。死を恐れるだと。幕末の動乱より、生への執着なぞとうにない。なのに、なぜ死を恐れる。恐れるな。

 何もわかっていない弟子に最後に引導をくれてやると、迫りくる比古清十郎。それを前に、自分の中の感情を整理しようとする剣心。

 今まで何十人何百人を斬ってきた自分にとって、“死”はあまりにも身近なもので当たり前のものであるはず。そしてそれは自分の命に対しても例外ではないからこそ、生への執着などないはずなのに、不思議にも生じてくる“絶対的な死”への恐れ。その感情を必死に押し込めながら剣心は比古清十郎に向かっていく。

 いざお互いに剣を交えようとする刹那のその瞬間、剣心の頭に過去のことが走馬灯のようによぎった。


生と死の狭間で過去を思い出し、大切なことに気づく剣心

 それは、幼少期の頃のこと。8歳のときコレラで親を亡くした剣心は、その後人買い (人身を買い取り、転売して利を得る商人) に捕まる。9歳の年、人買いらに連れられているところを山賊に襲われた。続々と人が殺されていくなか、残る男は自分一人。あとは女性たちしか残っていないという状況になった。

◆幼少期剣心(心太)
 「男の子は俺一人だったし、どうせ親はいないから、命を捨てても守らなきゃって思ったんだ。」

そう心に決めた剣心は、山賊に立ち向かっていこうとするが、人買いに買われ一緒に連れられていた一人の女性に引き戻される。そして死に際、こう告げられる。

◆人買いに買われ一緒にいた女性
 「心太。あんたは生きることだけ考えて。あんたはまだ小さいから、私たちみたいに自分で生き方を選ぶことはできないの。だからせめて生き方を一人で選ぶことができるまでは、生きなきゃダメなの。

 過去の記憶がよみがえるのと同時に、さらに剣心の脳裏に、今自分を大切に思ってくれている薫をはじめとした大切な人たち一人一人の顔がよぎった。そして次の瞬間、剣心の目から押し寄せる涙があふれでた。自分が死を恐れているその理由がやっとわかり、そして正直になれたのだ。剣心はこう心につぶやく。

◆緋村剣心
 「おれは、まだ。。。」

 誰かのために「犠牲になる」のではなく、誰かのために「まだ生きていたい」と剣心は心に思ったのだろう。

 師匠が言っていた欠けているなにかを見出した剣心は、奥義を会得し、師匠を倒した。奥義伝授を終えた比古清十郎が、剣心に最後に語り掛けた。

◆比古清十郎
 「そうだ。それでいい。多くの人を切ったお前は、己の命すらも軽んじてしまう。それが時として、心に巣食った人斬りの心に支配されてしまう。己を犠牲にした人斬りの強さをもって愛しいものや弱いものを守ったところで、所詮連綿と続く、時代のひと時に過ぎない。生きよ。剣心。さすればお前は、天翔龍閃を自在に使いこなし、おのれの中の人切りになど決して負けたりせん。」

奥義伝授は、比古清十郎のこの言葉で締めくくられた。


【奥義会得の際に剣心が乗り越えなければならなかったこと】

 親はコレラで死んでしまって、8歳で一人きりになる。そして人買いに捕まえられ奴隷のような生活を強いられていた剣心は、幼い頃から自分の命をなくてもいいものと考えるようになっていた。9歳で比古清十郎と出会い飛天御剣流を会得するが、幕末の動乱のなか大勢の人が死んでいっているのを見過ごせないと言って、14歳で師匠の忠告に背き、維新派に加担し人斬りの役目を担うようになった。新時代のためとはいえ、剣を振るって多くの人を殺めてきた剣心にとって、ますます死は、自分にとって当然のことのように捉えられるようになっていった。

 しかし師匠が釘をさしたのはまさしくその点だった。命を軽んじてしまうからこそ、人を斬ることができる。10年間るろうにとして殺さずの誓いを守ってきたといっても、ことあるごとに人斬りの心に再び支配されてしまいそうになるのは、命を軽んじる考えを捨てきれないからなのだと言いたかったのだ。親はいなくて俺は一人。そして多くの人を斬ったから自分の命なんていつなくなってもいい。その考えは言い換えれば、自分の命はなくてもいいから斬ってしまってもいいということになる。それが人斬りの自分になってしまう原因だと師匠は見抜いていた。

 奥義伝授のそのとき、確実に死ぬかもしれないという状況の中で、剣心はそれをやっと思い知った。自分自身が犠牲になってしまったら、それによって不幸になってしまう人が大勢いるということ。そして幼い頃、山賊に襲われたときに守ってくれた女性が自分に最後にかけてくれた「あなたは生きなきゃダメなの」という言葉の意味を。真実に強くなるために必要なことが何であるかを。


【「誰かにとって私は大切な存在」という気づきが自分を強くする】

 人は大抵の場合、自分が成長し変化することを望んでいる。そして、そのために多くの人が考えることは、剣心がそうであったように、何か新しいものを自分に付け加えるという行為だ。剣心は、奥義という技があれば、志々雄真実に勝てると思っていた。私たちも、自分が成長した証を社会における肩書きという技に求めたりする。

 しかし剣心は、奥義を求めたところでそれを会得することはできなかった。いや、師匠がそれを許さなかった。なぜなら、奥義を会得する心の準備ができていなかったからだ。強くなるために剣心に絶対的に欠けていたのは技ではなく、自分の命が誰かにとってとても尊いということを認めること。自分などなくてもいいと思うことは、大切に思ってくれている誰かを不幸にしかしないということを認めること。だった。

 自分をなくてもいいと思う人が今の社会に多くいると思う。また、何もできない自分に価値はないと思っている人も多くいると思う。それを解消するために人は、肩書きなんかを求めるのだろうが、実際それを手にしたところで、それを使いこなすこともできないし、それによって自分の心に巣食っている、なくてもいいという考えから解放されることもできない。本当に必要なものは、比古清十郎が剣心に諭したことと同様に、誰かにとって自分は大切な存在であるということを認めその人の幸せのために自分が幸せに生きることだ。それは、愛だということもできるだろう。

 誰かを愛すること、誰かから愛されているということを認める時に、そしてその大切にしたい人を考えるときに、「生きたい」と願う強い心はどうしようもなく湧きおこってくるものなのだ。そしてその熱情は、自分に新たな一歩を踏み出させ、新しい次元へを導いてくれるものとなるはずだ。

 緋村剣心が奥義伝授の際に学んだことは、現代を生きる私たちにとってもとても大切な教えだということを強く感じた。

 強くなるために必要なのは技でも肩書きでもない。

 大切な人を愛し、その人のために、自分が生きていなければいけないということ。

 自分も幸せで、誰かにとってもそれが幸せであるということをいつも見出す努力をし続けていきたい。

YUTAKA

#るろうに剣心 #天翔龍閃 #劇団ゆたか


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