体調のすぐれないおばあちゃんへの手紙

体調がすぐれないおばあちゃんに手紙を書いたんだ。

手書きの手紙。

もうおばあちゃんには送ったよ。

元気が出たらいいな。

愛を込めて生きることはどんな瞬間にも忘れたくない。


 例年のことだけれど、太陽と日本の距離が一年のうちで今が最も近くなるときだから、その熱さがビシビシと体に伝わってきますね。そのような季節に日本の各地では花火大会が盛大に開催されることもまた例年のこと。そんなふうに、太陽が熱いほど、花火が何万発と打ち上げられるほど、セミはそういったものに対抗するがごとくもっと強く逞しく盛んに、そしてまた自分の存在を証明するかのように、静まり返ることなく鳴き続けるのもまた例年のこと。 

 そして今年の夏は、僕の耳には、セミが更にもっと逞しく鳴いているように感じられるのです。 


 ユタカです。 

 おばあちゃんの体調があまりすぐれないことを少し前から聞いていました。遠方からでは、ただおばあちゃんの健康を祈ることしかできないと思っていたけれど、手紙という手段を使えば、きっとおばあちゃんに、祈ることだけするよりも、もう少し力を与えられるんじゃないかと思いつくことができたんだ。僕にできることは、ただ回復を祈ることだけじゃなかった。  


 僕はいま28歳なのだけれど、こうして生を授かっていままで生きてこれたことには心から感謝しているんだ。たしかにうまくいかないことや辛いことがなかったわけではないし、これまで順風満帆で歩んでこれたわけでもないと思う。そしてこれからの人生がどうなるのかもわからない。だけど、空に浮かぶ雲が美しいと思えたり、たったコップ一杯の水が素晴らしいと思えたり、そういう素朴な心を僕は持つことができたんだ。そしてそんな心でいつも世界を見渡すことができることは、僕にとってとても素敵なことなんだ。 


 おばあちゃんがおどっつぁんと出会って、僕のお父さんを生んでくれて。 僕のお父さんがお母さんと出会って、僕を生んでくれた。 おばあちゃんが素敵な人生を歩んでくれて、素敵な人と出会ってくれなければ、僕はこの世に生まれることができなかったんだ。 たしかに僕を創ってくれたのは根本的には神様かもしれない。だけど、おばあちゃんの存在なくして僕が生まれることはあり得なかったのだから、おばあちゃんは僕にとって命の恩人に他ならない。

  おばあちゃん、本当にありがとう。  


 これまで生きてきた中で、おばあちゃんとどこかへ出かけるということは数えるくらいしかなかったかもしれない。だけどそれじゃ僕にはまだまだ少ないと感じるんだ。元気なおばあちゃんが僕は好きだよ。そして元気なおばあちゃんとどこかへまた出かけて、思い出を作ることができると僕は信じているんだ。信じる気持ちは、もう一歩前へ踏み出す勇気と力をくれると僕は思っている。疑うことはしないさ。希望を持つことの方が、ずっと素晴らしい人生を歩むことができるはずだから。  


 素敵な人生を僕に与えてくれてありがとう。 

 おばあちゃんのこれからの人生もまた、もっと素敵な人生になりますように。 


  ゆたか。


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