老子『空っぽ』こそ役に立つ
遊園地の 大きな観覧車を想像してくれたまえ。
たくさんのスポークが 輪の中心の轂(こしき)から出ているが
この中心の轂(こしき)は空っぽだ。
だからそれは 数々のスポークを受け止め、
大きな観覧車を動かす軸になっている。
粘土をこねっくって ひとつの器をつくるんだが、
器は、かならず 中がくりぬかれて空(うつろ)になっている。
この空(うつろ)の部分があってはじめて
器は役に立つ。
中がつまっていたら
何の役にも立ちやしない。
同じように、
どの家にも部屋があって
その部屋は、うつろな空間だ。
もし部屋が空(から)でなくて
ぎっしりつまっていたら
まるっきり使いものにならん。
うつろで空(あ)いていること、
それが家の有用性なのだ。
これで分かるように
私たちは物が役立つと思うけれど
じつは物の内側の、
何もない虚(きょ)のスペースこそ
本当に役に立っているのだ。
老子『タオ』より抜粋
0コメント